可哀想な青年の話。彼は鬼柳京介と言って、一度死んでしまった人間だ。拘置所で死んだことも可哀想だが、こうして今屍のように生き長らえていることも可哀想である。彼は自分が死んだのは仲間に裏切られたからだと思い込んでいる。しかしそれは彼の勝手な想像に過ぎないのだが、彼のかつての仲間達が、彼の名を出して昔を語り合うこともない。もしかしたら、それぞれの頭の何処かでは、鬼柳京介という自分達のリーダーがいたことを思い出しているのかもしれないが、残念なことにわたしには他人の脳内を覗くことが出来ない。可哀想な鬼柳京介。自分が生き返った理由になるくらい憎んで執着しているのに、彼等が同様に彼に重い感情を向けている訳ではない。可哀想な鬼柳京介。セキュリティーに殺され、サテライトに殺され、冥界の王に生かされる狂った青年。
「よお」
何も娯楽のない部屋の真ん中に備え付けられたベッドで眠りもせずに横になっていると、いつの間にか鬼柳京介がわたしを見下ろしていた。白眼は黒く染まり、黄色い筈のマーカーは赤く変色している。鈍く光る銀髪と、女性よりも白い不健康そうな肌も相まって、一層不気味さを助長させている。横目で嫌々ながら見上げれば、歪んだ笑顔で、退屈そうなわたしに顔を近付けた。
「ダークシグナーって暇なの?」
「お前程じゃねえがな」
「ふうん」
どうでも良くなって寝返りを打つと、彼は「退屈すぎて死にそうって顔だな」と嫌味を投げつけながら高笑いし出した。この笑い声がわたしは大嫌いだ。耳がおかしくなりそうで、此方まで正気じゃなくなりそうになる。昔はもっと、普通に、快活に笑う人だったのになあ、と閉じた目蓋の裏に皆の兄貴分だった彼の姿を思い描いたものの、はっきりと輪郭をなぞることが出来なかった。わたしも大概薄情である。
「お前、泣くとか睨むとか、もっと面白い反応は出来ねえのかよ」
「出来ない」
「つまんねえ奴。昔はもっと可愛げがあったのに」
そこで彼は口を噤む。面倒な奴。わたしが我々の過去に触れると激昂するのに、自分が無意識の内に触れていることに気が付くと、酷く傷付いたような態度を取るのだ。そうして微かな呼吸だけが部屋を支配するようになる。この嫌な沈黙が嫌いだ。だったら一人で再び退屈をしのぐことも出来ず、思考を巡らせて、鬼柳京介に同情でもしている方が良い。
「なあ」
「なに」
目を合わせることもなく適当に返事をすると、真っ白いベッドがぎしりと軋んだ。視界をちらりと横切った銀髪や、逃げ道を塞ぐように置かれた腕や脚や、垂れ下がった重そうなマントをぼんやりと眺めていて、漸く彼に覆い被さられているのだと分かった。シーツの上に散らばった髪を掻き分けて、彼は耳元で何事かを囁く。恨み言かもしれないし、何か卑猥なことかもしれない。わたしにはどうでも良かった。しかし彼にはそれが面白くなかったらしく、わたしの顎を掴んで無理矢理に天井を向かせた。捻れだ首が痛い。黒い目に浮かんだ金色の虹彩が鈍く光っている。
「お前、連れてきた時からずっと俺と目を合わせねえよな」
唇を歪ませて、愉快そうに無表情のわたしを嘲笑った。狼に食べられる赤ずきんが見る情景ってこんな感じなのかもしれない、と呑気なことにわたしは鬼柳京介の口を見ながら思った。わたしは被食者に徹する他ない。
「…怖いからかも」
「そうかよ」
「余計なことを言いそうになるのが怖い」
ちらりと彼の瞳を伺うと、困惑したように少しだけ目線が揺れた。可哀想な鬼柳京介、わたしにはあなたを救えない。娼婦でもないし、憎しみや復讐から遠ざけてやることもできない。しかし、母でも姉でもないけれど、痩せ細った体を抱き締めてやることはできる。それでも、可哀想なことに、根本的に救いを求める相手を間違えてしまったのだ。遊星にしか幕は引けないというのに、それを拒否している。
「抱き締めてあげようか」
「なんだよ急に」
ごろんと彼の下で大の字になって待ち構えれば、やや暫くしてから、掬い取られるように抱え込まれた。背中に回った腕に絞め殺されてもおかしくないと思うくらい力が入っていたが、何か言うのも無粋だ。黙ってわたしも腕を回して、目を閉じる。そうすると一層彼の体が冷たく感じられた。首筋に埋められた顔から微かな息遣いが伝わる。氷で出来た獣でも手懐けているようだ。名前を小さく呼んで見ると、呟くようにわたしの名前と、他にももう一種類、同じ言葉を繰り返し出した。
「悪いけど、わたしはあなたを叱ってあげられないよ」
聞いていなかったのか、聞き流したのか、鬼柳京介は呪詛のように何かを呟き続ける。多分、チームの仲間のことなんだろう。可哀想な鬼柳京介、今だって本当は皆が好きで好きで仕方がないのに、どうしてこうなってしまったのだろう。わたしはそれを糾弾することも蔑むことも出来ず、ただ憐れみ、慈しむことしかしない。わたしにあなたは救えない。
「京介、京介京介」
銀色の髪をかき混ぜながら名前を呼んでみると、ぴたりと気の狂ったような言葉は止まり、彼はむくりと起き上がった。顔には既に不安定さは無く、いつもの、ダークシグナーとしての鬼柳京介そのものと言った冷笑的な笑顔を浮かべていた。これが正気と言うのなら、どの彼が間違っているのだろう。
「お前を殺してダークシグナーにして連れてったら、あいつらどんな顔すんだろうなあ」
そう言って楽しそうにわたしの首に手を掛ける。冷たい手だ。昔はそんなことはなかったのに。あの頃、わたしの頭を撫でてくれた手は暖かかった気がする。皆の頼れる兄貴分は、サテライトで漫然と生きていたわたしにとっては、分厚いスモッグの上の太陽の代わりだった。そして皮肉なことに、あの日は雨が降っていた。言わないけれど。それに、余計なことを口にする前に、わたしは彼を止めなければならないのだ。
「残念だけど、わたしは生き返らないよ」
「本当つまんねえ奴。ルドガーに操らせるか」
飽きたとでも言いたげに、さっさとベッドから降りて、わたしの下から去って行こうとする。ああ、また一人で待たなければならないのか、と寂しく思った。ドアを開けた彼が見えなくなる前に、寝転んだままわたしは尋ねる。
「ねえ、愛してるって本当?」
「知らねえよ」
振り返りもせず出て行った彼は気付いていないのだろう。わたしがサテライトに帰りたいなんて一言も言っていなければ、微塵も考えていないことも、遊星達に助けを望んでいないことも、彼等が仲違いする前から、ずっと彼を抱き締めたかったことも、全部。可哀想な京介、と呟いてみても、きっと何も悟ってくれないだろう。復讐なんて忘れて、此処にいてくれれば良い。そう考えてしまうわたしも既に狂ってるに違いない。まだ冷たさの残る首に触れて、少しだけ泣いた。結局彼は、キスもしてくれない。
愛してる愛してる愛してる、そう吐き出し続けた彼を掬い上げられるのは彼等だけで、決してわたしは其処に含まれない。可哀想な青年を救えないわたしの話。
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