聞き慣れたインターホンの音が室内に響く。パソコンを前にしていた俺は一度伸びをしてから立ち上がり、ゆったりとした足取りで玄関へ向かう。羽織った黒いコートのポケットの中身を確認しながら、ゆっくりとチェーンと鍵を開ける。ドアノブには触らないでも、勝手に開く。毎回、外から開けられるのを覚えているから、俺は引き下がった。腹立たしさと呆れと安心感が胸中を渦巻いていて混沌としているが、なんとか笑顔を繕うことが出来た。

「いらっしゃい」
「おはよ」

キャリーバッグとハンドバッグを握ったが片手を軽く挙げて、玄関に入ってきた。向こうは夕方だからか、時差ボケしているようには見えない。好都合だ。眠気を理由に逃がす訳にもいかない。何にしろ、情報屋を仕事にしていて、口先で世渡りしてきた俺は彼女に負けてはならない。キャリーバッグを玄関の片隅に残して、部屋の中へと連れて行く。無言でついてくるに怒りが静まりそうになるが、此処で引き下がってはならない。契約書でも書かせない限り、何度でも此奴は繰り返すのが目に見えているのだから。

「座って。コーヒーで良い?」
「んー」

適当に相槌を打って、は俺が勧めた椅子に腰掛けた。キッチンから、いつもは波江さんが淹れてくれるコーヒーを準備してながら様子を伺うと、きょろきょろと部屋の中を見回していた。「あ、棚の位置変わってるねー」とか「前よりちょっと片付いてるのって最近雇った女の人のお蔭?」とか俺に言って来る。うん?なんで波江さんのこと知ってるんだ?俺が必死に連絡取ろうとしても全然繋がらなかったのに。

「なんで知ってんの?」

砂糖を少し大目に入れたものと無糖の二人分のコーヒーを机に並べての向かいの椅子に座る。彼女はハンドバッグから包装された瓶を取り出して、机に乗せた。毎回買ってくるから分かる。蜂蜜だ。アルヴェアーレという行き着けの店のものらしいが、初めて貰った時に俺が結構気に入ったので、渡米する度に買ってくるのだ。というか、これしか俺に買ってこない。シズちゃんや新羅やセルティーやサイモン、ドタチン達には毎回違った土産物を用意するのに、だ。手抜きじゃないのかと疑わしくなってきている。

「セルティーがね、最近のこと色々と教えてくれてたんだよ。新羅がどうだとか、静雄が何を投げたとか、池袋がどうなってるかとか、臨也がムカつくとか」
「最後のは余計だよ。で、セルティーとは連絡し合ってるのに俺からのメールには一通も返信しなかったのは?」
「え、臨也メールくれてたの?」
「届いてないとか言わないよね?」
「えー、来てないよ?」
「三種類くらいアドレス変えて送ったんだけど」
「受信箱に入ってなかったよ?………迷惑メールになってた、とか?」
「ごめん、刺して良いかな?」
「静雄に思いっきり吹っ飛ばされるならともかく、臨也に刺されるのは嫌だ」
「なんでシズちゃんは良いのに俺は駄目なの」
「だってなんかムカつくし」

満面の笑みと共に言い放って、彼女はコーヒーを口に運んだ。俺も黙って恨めし気な視線を送りながら、コーヒーを口に含ませる。落ち着け、俺。このまま此奴のペースに巻き込まれてたら、折原臨也の名が廃る。何より俺よりシズちゃんが選ばれてるみたいですごく不満だ。

「で、一ヶ月も何してたんだい?」
「なんだか無性に古い友達に会いたくなってねー、ニューヨークで馬鹿騒ぎしてきた!新興マフィアのシマで暴れまわってたら結局そのマフィア潰しちゃってたり、色んな所から色んな人が会いに来てくれたりして、すっごく楽しかったよ。マルティージョとガンドールの面々と飲みながらドミノもやってきたし、胡散臭いテロリストにも会ったし、吸血鬼そっくりな友達と語り合ってきて、他にもー」
「うん、もう良いよ、俺の皮肉は通じてないっていうのが良く分かったから」
「ふーん、じゃあ続きは今夜セルティー達に話すよ」
「今夜って?」
「あ、臨也誘われてなかったんだ?新羅の家で皆でご飯食べるんだけど」
「俺ハブられた!?」
「静雄来るから臨也が居ると面倒臭いと思われたんじゃない?」

あっけらかんとして俺に言う此奴に絶句して、大袈裟に溜息を吐いた。当のは「残念だったねー」とにこにこしている。俺、もしかして嫌われてる?

「拗ねないでよ。そんなことだろうと思って、空港から直接こんな所まで来たんだから」
「こんな所で悪かったね」
「ほら笑って笑って」

「笑顔でいれば幸せになれるって友達が言ってた」と続けて、はのんびりとマグカップを傾ける。でもまあ、自宅にも帰らないで来てくれたという点に関しては、結構嬉しかったりする。勿論、言わないけど。

「俺に何も言わないで海外旅行に行ったりしなければ、俺だって機嫌良く会話出来ると思うんだけどね」
「言ったら言ったで引き止めるじゃん」
「彼氏ほったらかして遊びにいくのもどうかと思う」

そう、何を隠そう、この俺、折原臨也は、この放蕩女、基、の彼氏なのだ。それも高校卒業してすぐに付き合い始めたので、期間も大分長い。しかしながら、昔っから彼女は俺に何も言わずに旅行に行く。ほとんどはアメリカだ。は日本人だが(というか日本国籍)、ずっと昔にイタリアに渡って、その後アメリカに行き、結局日本に帰ってきて、池袋に居着いたようだ。セルティーと言い、あそこは変なものを引き寄せる力があるのかもしれない。そして、俺は首のない女に惚れてる新羅を笑えない。彼女だって普通の人間じゃないからだ。俺の十倍以上は生きてる、実年齢は高齢者なんてもんじゃない。

「臨也ってさ、頭良い癖に他人の気持ちは理解出来てないよね」
「どういう意味?」
「臨也はわたしだけが悪いって思ってるけど、毎回、原因は臨也にあるんだよ。気付いてなかったでしょ?」
「はあ?俺のせいにするの?」
「中高生の女の子部屋に上げてるからって、わたしが来た時に追い返したじゃないの」
「あー…」
「待ち合わせだって、静雄と喧嘩していっつも遅刻して来る」
「うん」
「他にも言った方が良い?」
「いや、分かったから良い。ちなみにメールはわざと無視してた?」
「そうだよ」

晴れやかに笑う彼女を見て、俺は黙って両手を挙げた。つまり、いつもいつも俺に腹を立てて、顔も見たくないのだろう、海すら越えて行っているのだ。謝るのも癪だし、待ち合わせの遅刻はシズちゃんのせいだから、黙っておく。

「美味しい和食が食べたい」
「はい」
「ご馳走してくれるんでしょ?」
「勿論」
「言いたいことがあるなら今の内に言ってくれる?」

長生きしてる人間(じゃないかもしれない)を侮ってはいけなかった。「年の功とか言ったら出てくよ」なんて言われたから、顔に出てたのかもしれない。引き攣り気味な笑顔で誤魔化し、コートのポケットから準備をしておいたものを出す。銀色でそれなりに質量があるそれを、に差し出す。

「鍵?」
「此処の鍵」
「ふーん」
「一緒に住まない?」
「そうだねー、女の子たちが来ないなら考えても良いよ」
「…分かった」
「見られて困るものとかないの?」
「特には」
「セルティーの首は?」
「は?」

「あれ、ないの?」と首を傾げる彼女を前にして、俺は一生敵わないんだろうな、と思った。当のは鍵を摘んで、悩まし気に眺めていた。

「臨也はいつか死んじゃうでしょ」
「うん、死ぬんだろうね」
「年を取ったら老ける」
「俺は不老不死じゃないって言いたいの?」
「そうだよ、だから、わたしは耐えられなくなって臨也の手の届かない所に逃げるかもしれない」
「次は探しに行くよ」
「本当に?」
「ごめんね、ずっと迎えに来てほしかったんだよね」

立ち上がって手を伸ばして頭を撫でると、目を潤ませながら「遅いよ馬鹿ー!」と喚いた。その行動が外見年齢に見合っていて、可愛らしくて、自然と笑ってしまった。「おいで」と腕を広げると、彼女は勢い良く俺の胸に飛び込んできて、ただ、幸せだなあ、とぼんやりと感じた。確かに俺は老いていくし死んでしまうけど、生きてる間は彼女を幸せにしたいと思う。これはまあ、結婚式まで取っておこうかな。新婚旅行はニューヨークが良い。流石に恥ずかしくてまだ言えないけど。

「ご飯食べに行こっか」
「うん!」









supernova









(すぅちゃんへ、卒業して離れ離れになってもずっとずっとわたしはすぅちゃんがだいすきです。生まれてきてくれてありがとう)
(090225/BUMP OF CHICKEN/supernova)