僕はあの女が嫌いだ。大嫌いだ。それはもう、僕を愛してくれなかった十代よりもずっとずっと遥かに大嫌いだ。十代がどうしてあんな女が好きなのか微塵も理解出来ないが、それによって僕のだあいすきな十代に僕の理解の範疇を超える部分があるということに気付いてしまったことにも腹が立つ。

「十代、またあいつのこと考えてるのかい?いい加減諦めれば良いのに」
「うるさい」

僕の話はまだ終了していないのに一言で切り捨てられてしまった。あんな女、今すぐいなくなれば良いのに。あいつが十代以外の、というよりもあの小煩い三匹の飼い主に惚れていると知っているのに、十代はきっと諦め切れない。「万丈目は明日香が好きなんだ」なんてあの女を説得し続けるだろう。不愉快なことに。十代に近しい女の一人である天上院明日香に恋人がいることには安心したが、あの女がいては結局何も変わらない。



「あのさあ、あたしの部屋は駆け込み寺じゃないって何回言えば分かんの?馬鹿なの?」

頭を冷やすために十代から離れようとすると、行き先を考えまでもなくいつも同じ部屋に来てしまう。僕を見もしないで鏡台で真っ赤なマニキュアを塗っている派手な女の根城だ。つまり女子寮のの部屋である。は数少ない精霊が見える人間なのに、それを誰にも言おうとしない。十代だって、十代の親友だとかいうあの方向音痴のヨハン・アンデルセンだって、が精霊を見ることが出来るとは知らない。勘の鋭い十代に何故悟られないのか訊ねた所、「見なければバレない」と主張された。つまり、目の前に僕のような精霊がいても、見えないように振る舞う、つまり見なければ、誰にも自分が他人と違うとは知られないということだ。それでも僕とは友好的な関係でいるのは、僕が彼女の部屋でしか話し掛けないからである。

「その色、制服に合ってないんじゃないかい?」
「だよねえ。貰ったから塗ってみたけど好きじゃないし捨てるかも」
「貰った?君にその色を選ぶなんて相当趣味が悪い奴としか思えないよ」
「だってあたしに惚れるような男だし」
「君に虐められたがってる奴くらいだよ、そんな色選ぶの」
「あたしMには興味ないのに。虐めたって面白くないもん」

は加虐趣味だ。つまりサド、S。他人が苦しがっているのを見るのが好きだと言う。激しくLPを奪い合うデュエルを観戦している時、自分が相手のLPを削る時、とても幸せそうな顔をする。僕はマゾヒストだとこいつに散々言われているが、僕がどんな形であれ貰って嬉しいのは十代からの愛情だけだ。十代が僕を見てくれていればそれで良い。そうして話し始めると十代にあんなに愛されてるのに応えもしないあの女への恨みつらみへと話が変わってゆくのだが、は適当に相槌を打って聞き流してくれる。だから僕たちは良い関係を築けたのだと思う。勿論こんなこと言ってなんてやらないけど。

「左の中指から塗り始めるっておかしくないかな」

除光液をコットンに含ませているの背中に投げ掛けると、ゆっくりと上半身を捻って中指を立てた。「ファックユー」ってにこやかに言われたってそれ、僕に対してやられても困るんだけれど。僕が大きく溜め息を吐くと、マスカラでばさばさになった睫が揺れた。

「はしたない」
「あんたとこうやって話してる時くらいしかしないって」

からからと子どものように笑う姿と制服に合わない化粧で作り上げた大人びた印象がちぐはぐで、現実に不適合な僕はそれを見てひどく安心した。世界と足並みが揃わない所か揃えようともしない僕たちは似ている。そう前に伝えた時、は憤慨した。「あたしは自分に正直なだけなんだけど!中二病じゃないし!」って。中二病ってのは説明されてもよく分からなかったけど。

「前にさーユベルあたしと似てるとか言ってたことない?」
「言ったね、僕も今思い出してたよ」
「あんたとあたしそっくりよ。どっちも報われない相手好きになっちゃったんだもん」
「…何だいそれ、僕の十代への愛は報われないと言いたいのかい?」
「魂が一つになっちゃったんでしょ?あんたの愛しい遊城が自分自身に惚れるとは思えないんだけど」
「僕の愛をそんな低俗なものと一緒にしないでくれる?これは恋愛なんかじゃないんだ、十代の全てが僕は愛しいだけさ」
「じゃあ片思い中の遊城だって愛せば良いのに」
「それは嫌だ」
「わっがままあ」
「なんとでも言いなよ」

僕が不機嫌さを露わにすると、は肩を竦めた。赤いマニキュアが染み込んだコットンをごみ箱に投げ捨てると、彼女はレッド寮の十代の部屋のものよりも大分大きく、質も良いベッドにダイブした。スカートの裾から肌色の太ももが伸びている。僕の褐色の肌とも左脚とも全然違う。まあ、僕は元々男だったのだから、右脚がのそれに似てることの方が普遍的ではない訳だけれど。俯せになって雑誌を読み始めたの傍に腰掛けて覗き込む。デュエル雑誌だ。てっきりはファッション誌しか読まないと思っていたが、デュエリストであるからには読むようだ。新作カードのページをぱらぱらと捲っている。

「あ、そうそう、これ」

開かれた角を折ってあるページには、十代の友人でもあるエド・フェニックスの横顔が掲載してある。最年少プロデュエリスト エド・フェニックス熱愛発覚!?の見出しに僕は顔をしかめた。他人のことなんだからほっとけば良いのに、人間ってよく分からない。

「お相手はアカデミアの生徒だって」
「ふぅん」
「あたしの一番の友達」
「へえ」
「こいつら付き合うの遅すぎ。エドなんか一年もあの子に付きまとってるんだけど。女子寮でいつ記事になるか賭けられてたくらいだし。記事になったんだからいい加減付き合えって話だっての」
「僕はつくづく人間が分からなくなった」
「だって他人事の方が面白いじゃん」
「そうなのかい?」
「あんたは基本遊城が絡まないと興味持たないもんね」
「当たり前だろう?」

僕にとっては十代が全てなのだ。十代が僕の世界であり、僕の世界の中心は十代だ。一人だけを愛するっていうのはそういうことだ。そこで僕はの報われない恋愛事情を問い質してみるのも面白いかもしれないと思い至った。

「ところで君のお気に召す虐めがいのある男が見付かったのかい?」
「残念ながらいないね」
「恋をしてるんだろ?」
「だってそいつ虐めたって苦しまないんだもん」
「そうなの?てっきり君の性癖に合うようなのがいたのかと」
「好きになっちゃったら好みなんて関係ないしー」
「で、君が惚れるなんて相当タチの悪い奴なんだろう?」
「そーよ。絶対あたしに惚れそうにないような奴。しかも多分、半年もしたら二度と会えなくなるような奴」
「そいつも君も、大概馬鹿だよ」
「それはユベル、あんたもでしょ」

僕の嫌味には唇を尖らせる。そして少し沈黙した後、僕たちは声を上げて笑った。僕が苛々して此処に駆け込んできたことも、最早どうでも良くなっていた。友人というのは不思議なものだ。きっとは僕が意地の悪い質問をしても答えてくれるに違いない。

「どうして二度となんて言い切れる?」

どう説明したものかと考えあぐねているのかとが視線をさ迷わせる様子を、僕は大人しく見守る。意を決したようには僕の頬に顔を近付ける。キスでもされるのかと少しどきりとしたが、そんなことはなく、僕の耳元で小さな声で、卒業したらそいつが遠い所に行ってしまうからだとか、他に好きな人がいるだとか、そんな嫌味のような悪口のような不満がぶち撒けられた。それを聞いて僕が眉根を寄せると、彼女は唇を噛んで、泣き出しそうな表情をした。化粧の崩れた顔は見られたくないだろうと気遣って、僕はの頭を肩に押し付けて、あやすように背中を叩く。遠い過去に思いを馳せているのか、は僕の背中に腕を回したまま黙っている。細い腕。逞しく見えたって、所詮は18歳の女の子なのだ。

「どうして好きになっちゃったんだろ」

小さく呟いたに相槌を打つと、「本当、あんたって遊城には勿体ないくらいだわ」だとか、訥々と続いていった。十代には勿体ないんじゃない、十代が勿体ないんだと訂正すると、どっちもどっちの一言で片付けられた。どうも十代に関しては僕たちの価値観は噛み合わない。残念に思っていると、両手で肩を軽く押された。どうやら気が済んだらしい。

「ありがとユベル」
「なんだ、泣かなかったの?珍しくしおらしい所が見られると思ったのに」
「あんたの前じゃ絶対泣いてやんない!」

ふと、頬を膨らませたの爪先が光沢のある真っ赤なマニキュアに彩られているのが見えて、僕には彼女の本心が分からなくなった。だって彼女はこのマニキュアを贈った相手に興味がないと言っていたのだ。僕は素直にその疑問を口に出した。そうしたら、は困ったように微笑んだ。その表情が大人びていて、僕は取り残された子どものような気分になった。

「人間諦めも必要ってこと」
「どうして?」
「大人になるからよ」
「子どもじゃいられないのかい?」

は黙って静かに笑った。ずうっとずっと昔から時間の止まった僕は、大人にはなれないに違いない。きっとは成長して、年を取って、もっと大人になって、ゆくゆくは死んでしまう。そうして人間ではない僕は数少ない友達に置いて行かれる。その想像の果てに辿り着く先は、やはり十代しかないのだ。十代は僕を置いて行かない。十代が大人になったって、僕は十代と離れ離れになることはないのだ。決して。と別れなければならない運命と同じくらい確実に。





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