※それとなく同性愛表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 「ヨハン、起きなさいよ」 女の子の声が聞こえて、意識がぼんやりと覚醒してきたら、肩を揺さぶられた。だったら良いのに。絶対違うけど。この声と厳しい感じは間違いなく明日香だ。ん?明日香?十代が俺を起こすなら分かるけど、なんで明日香? 「やっと起きた…」 「十代は?」 「購買に行ったんじゃない?」 「嘘!?俺置いてかれた!?」 「あなたの分もドローパンを買っておくって言ってたわよ」 「良かったあ…」 額に手を当てて呆れたように溜め息を吐いた明日香を見て、授業前に親友にもされたことを思い出した。なんで俺、今日こんな扱いばっかり受けてるんだろう。膝で寝そべっていた筈のルビーに訊こうと思ったらいなかった。ルビーにまで見捨てられたみたいでショックだ。 「なあ、明日香がなんで俺を起こしたんだ?昼飯は?」 「私のドローパンはにお願いしたの。あの子は運が良いのか今まで具なしパンを引いたこともないし、安心して任せられるわ」 「ふうん。俺も鵲に引いてもらいたいな」 「駄目よ」 即答した明日香の顔が怖くて、俺の表情筋も固まった。腰に手を当てて俺を見下ろす明日香は自棄に威圧感がある。俺は密かに、明日香って吹雪さんよりも男前なんじゃないかと思っているのだが、生憎冗談で済むような相手ではないので、本人には言わないでいる。 「ヨハン、あなたに言いたいことがあって私は教室に残ってたの。を好きになるのは構わないけど、近寄らないで頂戴」 「はあ!?」 「あの子は男性が苦手なのよ。嫌な気分になんてさせたら私がただじゃ置かないわ」 男が苦手? そりゃないって、と泣きたくなった。これじゃあお友達から始めましょうみたいなアプローチも出来ないじゃないか。あ、でも、嫌われない程度に話し掛けて少しずつ仲良くなってくなら有りかも…と思い直す。我ながら調子が良い。それに変に男慣れしてるより可愛いじゃんか。 「聞いてるの!?」 「分かった分かった」 「本当かしら」 不審そうに俺を見る明日香に手を振って、俺は教室を飛び出した。作戦を練る前に腹ごしらえだ。今日のドローパンの具は何だろう。十代なら黄金のたまごパンを引いてくれてるかも。それにしてもルビーは何処行ったんだ?ハネクリボーと一緒なのか? 「っていうか俺、ルビーいないと購買が何処か分かんねえや」 これは死活問題である。そういやPDAがあるんだった。でも地図を見たって購買には辿り着けないだろう。十代にメールするのが一番手っ取り早い。ああもう、明日香に連れてって貰えば良かったんだ。 「だ…」 PDAを取り出して十代に連絡を取ろうとしたその時、軽やかな足音に気付いて廊下を見渡すと、ドローパンを抱えたあの子がいた。小走りするのに合わせて髪がふわふわ揺れている。可愛い。声を掛けたい所だが、明日香に忠告されたばかりだから今は我慢だ。と目の前を通り過ぎるのを見てから行こうと思っていたら、は俺を見て立ち止まった。びっくりしてぽかんと口を開けたまま突っ立ってる俺は相当の間抜け面を晒していることだろう。 「明日香はさっきの教室?」 「あ、ああ、うん」 上目遣いで見上げてくる様子はすごく可愛いはずなのに、何故かものすごく威圧的で、先ほどの明日香を連想した。俺は情けないことに、気圧されてついどもってしまった。そんな俺の焦りを知ってか知らずか、は眉間に皺を寄せる。嘘、俺なんかした? 「あなたのせいで明日香とゆっくりお昼が食べられなくなってしまったわ」 そう言い捨てるとは俺の前を去って行ってしまった。小さな背中が遠ざかるのを見て、俺は肩をすくめた。女って怖い。これは胸キュンポイントマイナス十から始めてプラスに持ってく所かマイナス百から頑張らなきゃいけないということなのだろう。短い留学期間でそれをやってのける自信はないし、今のでなんとなく、と明日香の親密さは俺が横から入れるものではないと分かってしまった。 「ヨハーン!」 PDAを握り締めてしょげていると、聞き慣れた声が俺の名前を呼ぶのが聞こえた。十代だ!やっぱり俺たちは親友だ。機械がなくたって以心伝心できるのだ。俺はぶんぶんと大きく腕を振る。 「じゅうだああい!」 「わりい、お前が方向音痴だって忘れてた。ほら、これヨハンの分な」 俺が駆け寄ると十代からドローパンが二つ差し出された。ルビーが足元にすり寄ってくる。やっぱり十代と一緒だったようだ。俺は明日香やに睨まれて怖い思いしてたってのに!俺が疲れたような顔をしているのに気付いたらしく、十代はいきなり俺の顔をずいと覗き込んだ。顔近い! 「もしかしてに会ったのか?」 「おう…」 「あちゃあ…さっき見たとき機嫌悪そうだったからなあ…」 苦笑いしながら十代はすぐ側にある教室に入った。いい天気だから外で食べるのも良いよなとは思うが、今日は時間がそんなにないからあんまりゆっくりも出来そうにない。十代が適当に座ったので、俺も隣の席を選んだ。ドローパンを一つずつ開ける。十代はくさやパンで、俺は納豆パンだ。この席で次に授業を受ける奴は大変だなとちょっと思った。くさやも納豆も俺は好きだけど、臭いが駄目な奴って日本人でもいるらしいし。粘つきのある納豆を頬張っていると、十代が会話の続きを始めた。俺が失恋したのことだ。 「は男が嫌いなんだよ」 「ああ…やっぱり…」 「だからやめといた方が良いぞ」 苦手と言われて、男性恐怖症を想像した俺が間違っているとは考えたくない。だって小動物みたいな子なんだ、それが牙をむくなんて想定外じゃないか。だけど、俺たちは何処かもっと先の地点で分かり合えるんじゃないかと俺は期待してる。友達になりたい。俺は女の子も好きだし、とは違うけど、多分、や明日香は俺と同じ部分がある。まああの二人には出来て、俺にはどうしても叶わないことではあるけど。 「本当はさ、を好きになる前から、もっと好きな人がいるんだ」 口に出せば何か少しでも変わるのかもしれない。ほんのちょっとだけ期待した俺は、無意識の内に口走ってしまった。中途半端な気持ちでいることに軽蔑されるかもしれないと急に心配になって、俺は無言になって納豆パンにかぶりついた。一拍置いてから、「え?そうなのか?」と十代はきょとんとした。 「でも俺なんて絶対対象外だから、諦めようと思って新しい恋を探してたって訳。あ、別に、は本当に可愛いし、俺の好きな奴に全然似てないから、代わりにしようなんて考えちゃいなかったぜ?」 弁解してるみたいだと思った。十代はそうは思ってないだろうけど、実際、これは本当に言い訳に違いなく、静かな教室で俺の必死さが虚しく染み込んだ。だってしょうがないだろ? 余計なことを言ってなきゃ、うっかり言うべきではないことを零してしまいそうなんだから。十代に悟られないように笑顔を作って納豆パンにかじり付く俺自身に自己嫌悪しかできない。十代は他人の恋愛に興味を持たないから、俺が心の底に仕舞い込んだ気持ちを詮索すらしようとしないって、俺はとっくに知っているのに。ほらだから、十代が触れるのは相手じゃなくて俺なんだ。 「絶対無理なんてヨハンらしくないじゃん」 「俺にだってそういうことはあるんだよ」 「ふうん、よく分かんないけど、俺はヨハンを応援するぜ!ヨハンは本気で好きなんだろ?でさ、そいつデュエルは強いのか?」 「ああ、そうだな、本当に強い」 現実は何処までも残酷だ。フレディ・マーキュリーは死に、マシュー・シェパードは殺された。誰かと一緒に俺の恋心も埋葬できれば良いのに。、ずるいよ。俺は彼女が羨ましくて仕方ない。明日香が恨めしくて仕方ない。小さなを抱き締めて、自分のどろどろとした内面を吐露できれば、俺の心は浄化できるのかもしれない。 「伊勢エビパンきたー!」 「お、十代すげえ!俺のはー…」 |
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