メローネの甘い色の髪がさらさらと揺れるのを、マニキュアの独特の匂いを嗅ぎながら眺めている。仕事着を脱いで、変なマスクも外したメローネは、黙っていればとても綺麗だ。中身は変態だけど。真剣な目をして手に持った刷毛でわたしの爪を彩っていく。塗り残しもムラもなく、わたしにしては珍しく淡いピンクのマニキュアが爪に載せられる。

「やっぱりメローネに塗って貰うのが一番ね」
「俺以外にも触らせたのかい?」
「ネイルサロンでやって貰ったことならあるけど、メローネが期待してるような答えはないよ」
「なんだ、残念」
「あ、でも一度だけ、ソルベとジェラートに塗られた」
「何それ」
「どっちが上手く塗れるかって。ジェラートはまあまあ綺麗だったけど、ソルベはマニキュアが勿体なかったなあ。後で両方ジェラートにやって貰った」
「両方俺に塗り直させてくれれば良かったのに」
「水色のマニキュアが気に入ったからって二人がわたしに買ってきてくれたんだもの。折角だから買ってくれた人に塗って貰いたかったの。まあ何にしろ、メローネが聞きたがってるような色気のある話じゃないわよ」

メローネの手はトップコートを塗り始める。持ちが良くなる必要なんてないのになあ、とは思うけど、口に出したりはしない。持ちが良いということは、つまりメローネにマニキュアを塗り直して貰う回数が減ってしまうのだ。

「今日はどうしてピンク?」
「当分そーゆーお仕事がないもので」
「それは知ってる。、ピンクとかそんなに好きじゃないだろ?」
「気分転換よ。此処の所、赤とか原色ばっかりだったでしょ」
「なんだ、ピンクが好きな男にでも惚れたのかと思ったのになあ」
「むしろあんたの脳内じゃないの?」
「うん、俺ピンク好きだよ」
「話が噛み合ってないわよ」

開け放たれた窓から入ってくる風が、リビングのカーテンを揺らすのをぼんやりと見ながら、小さく溜め息を吐く。チーム唯一の女である以上、綺麗にめかし込んでパーティーに入り込んだり、時には身体を張らなきゃいけない仕事だってする。そういう時に頭の天辺から爪先まで完璧に仕上げないと、プロシュートに怒られるのだ。ドレスを選ぶのも髪型を変えるのも大抵プロシュートだ。パーティーに行く時もプロシュートの腕にへばりつかなきゃいけない。自分と恋人ごっこをする以上、プロシュートはわたしを完璧にしなきゃ気がすまない。だから、わたしがした化粧も気に入らないとやり直されるが、女としてそれは流石にちょっと嫌だ。だけど爪だけはメローネにやってもらう。マニキュアもペディキュアもメローネ。自分でやるよりも綺麗だ。きっとプロシュートのことだから、マニキュアだってわたしより上手く塗れるだろうけど、其処だけは譲れない。イルーゾォも塗るの上手そうだ。やって貰ったことないけど。実際の所、イルーゾォは匂いが駄目らしいから塗れないかもしれない。ギアッチョは匂いが駄目というより嫌いだから、わたしはアジトでマニキュアの瓶を開けられない。一度やったことがあるが、まあいつもの如くキレた。わたしの代わりにメローネに凍っといて貰った。
そういった経緯により、爪の色を変えたくなったら、大抵の場合、わたしのアパートにメローネに来て貰って、マニキュアを塗って、お茶を飲む。この只の仕事仲間のような関係が気楽だけど、少し窮屈だ。わたしの恋愛事情なんてきっととっくにもう皆にバレているが、相談相手はソルベとジェラートに限る。同棲のような同居をしている二人が、一番女心を分かってくれるのだ。ちなみにリーダーに話すと気付けば愚痴になっているから不思議である。

「でーきた」
「Grazie、メローネ!あ、ねえ、ペディキュアも塗ってくれない?」
「ん、ソファー座ってよ」

ペディキュアも同じピンクにしようとふと思って、出来映えに満足しているメローネを引き留める。わたしの足元に跪くメローネを見下ろすのも悪くない。問題は、スカートから伸びたわたしの太股を見てにやつくこいつを蹴りたくなることだけれど。ペディキュア塗布定位置に着くと、メローネはわたしの右足を掬い上げた。ベースコートの刷毛が爪先に触れる。

「あんまり見られると興奮するんだけど?」
「変態」
「従属してるみたいでなんかやらしいよねえ、この格好」
「マゾヒスト」
「そんな俺が大好きな癖に」
「調子に乗んな馬鹿」

左足でメローネの頬を軽く蹴る。ベネ!とか言い出したから、罵りながら左足で顎を上に向けた。うわあ、SMみたいで自分でちょっと引いた。長い前髪が当たってくすぐったい。そんな中、メローネの目が場違いなくらいに真っ直ぐわたしの顔を見ているものだから、わたしは瞬きすら忘れそうだった。ふと我に返って、すぐに左足を退かす。メローネの顔は同時に下を向くのかと思っていたが、そうはならなかった。

「何よ」
「押し倒したくなってきた」
「出てけ」
「出てったら塗れないのに?」
「さっさとペディキュア塗り終えて出てけ」
「可愛いなあ、本当。日本ではツンデレって言うらしいぜ」
「プロシュートにでも頼もうかな」
「プロシュートはに頼まれたってこんな格好しないね。だからのマニキュアは俺の仕事」
「あっそ」
「なんだよ、さっきはあんなに褒めてた癖に」
「気の迷いだったに違いない」
「いーや、は一貫して俺のこと大好きなんだから」
「大嫌いだメローネなんか」
「俺は結構好きだよ」

人に対する好きに結構を付ける奴なんて信用出来るか。つまりメローネはわたしのことなんか仕事仲間としか認識してないのだ。仕事仲間だからベイビイ・フェイスの母体にすることも考えられなくてすむのはまあ嬉しいけど。
メローネは性に奔放だし、スタンドに関係なく女だって抱く。しかしわたしがそれにやきもきしていたのも最初だけだった。多分、メローネは女を女としか認識出来ないのだろう。其処に個人も個性もあったもんじゃない。だからわたしはメローネとは寝ない。迫られようが何されようが、スタンド出してお仕舞いだ。甘ったれた恋をする以上、子供みたいな意地と清純さを武器にするしかないと、わたしは考えたのだ。だって、わたしより色気に溢れた女なんてごまんといるし。プロシュートやホルマジオは笑うけれど、わたしにはメローネと昼ドラみたいなどろっどろの愛憎劇をやっていく自信はない。学生みたいな可愛い子ぶった恋愛で充分だ。

「俺はさ、のならマニキュアの塗りかけの爪でも舐められるんだ」
「じゃあ舐めてみなさいよ」
「俺の舌に多少なりとも毒性があってもキスしてくれる?」
「不味そうだから嫌」
「そう言うと思った」
「何よ、結局舐めないんじゃない」
に嫌われちゃ元も子もないからさ」
「わたしはそんなんで流される程馬鹿じゃない」
「知ってるよ、それに流したい訳じゃない」
「じゃあ何よ」
「俺を何処にも行かせたくないなら、縛っちゃえば良いんだよ」
「どうして?」
「紐でも繋いどけば、俺は動けないんだから」
「違う、どうしてわたしがメローネを束縛しなきゃいけないのってこと」
「俺がふらふらするの止めたら、はもっと俺に対して素直になってくれるんじゃないかと思って」
「さっさとペディキュア塗り終えて出てけ」
「それ、さっきも言ってたじゃないか」

くすくすと愛らしく笑いながら、再び刷毛を握るメローネを見て、わたしは顔を赤くした。バレている。わたしがメローネを好きなことも、その他大勢になりたくないことも、きっと。居心地の悪さに、白いカーテンが揺れる様子だけを見ようとしたが、集中は出来なかった。テレビでも付けようかと思案したけれど、なんだか反って気不味い。

「終わったら、どっか出掛ける?」
「ジェラート食べたい」
「良いね、その後映画でも行く?」
「観たいのでもあるの?」
「うーん、レンタルして此処で観ようか」
「何を?AVとか言ったら吹っ飛ばすわよ」
「えー。んー、あ、俺、あれ観たい」
「どれ?」
「イギリスの白黒の、が嫌いな奴」
「何よそれ。わたしが嫌いなのをわざわざ此処で観るって言うの?」
「ああ、ナックだ」
「あれは腹立たしいから嫌い」
「俺は好きだよ、あの人形みたいな女達がずらっと並んでる様は最高だね」
「ベッドを運ぶシーンは好き。だけど後半からのヒロインが嫌いなの」
「それは君が正反対だからじゃないのかい?調子良く男に乗せられといて、いざとなったら気絶。Raped!って叫んで回るなんて君としてはありえないんだろ?」
「そうよ。あの鬱陶しい男も嫌い。映像が綺麗だってことは認めるけど」
「じゃあ俺はナックを観るから、は俺にマニキュア塗ってよ、お揃いで」

意味が分からない、と軽くメローネを睨み付けると、ペディキュアが完成したようで、瓶をテーブルに置いて立ち上がった。急に高さの位置関係が逆転して、メローネに抱かれるとしたら、こんな風に見下ろされるんだろうな、と漠然と解釈した。

「お揃いのマニキュアなんて、分かりやすいと思わないか?」
「何が?」
「ソルベとジェラートみたいにべたべたしてなくたって、俺達の距離が近付いてるって、あいつらならすぐ気付くさ」
「あんた、わたしのこと、結構好きってだけでしょ」
「大好き愛してる!って言ったって、は全く信用しない」
「そりゃそうよ」
「でも俺はが大好きだし愛してるよ」
「そこでチームの仲間としてって言ったら、頭からマニキュア掛けるけど?」
「うわ、敢えて言いたくなるな、いや、言わないけど」

もし、もしもだ、これが夢じゃなく現実だとして、晴れて恋人同士になったとして、わたし達の何が変わるのだろう。完全に乾くまでもう少し掛かるペディキュアの方へ視線をさ迷わせて、頭の中の不安だとか期待だとか、色々とぐちゃぐちゃに絡まった感情を整理する。唐突すぎるのよ、この馬鹿。

「難しく考える必要なんかないさ、君が俺とセックスしたくないって言うなら、まあ浮気するかどうかは別として、俺は我慢する。仕事でプロシュートといちゃつくのは俺の前でやらない限りは、なんとか耐える。とりあえず、キスが今までのスキンシップ以上になるのは間違いない。マニキュアが削れてなくても俺は此処に来る。他の奴、例えばギアッチョなんかを交えて出掛けることが減る。後は何かあったかな」
「恋人としてすること?」
「そう」
「特に好きでもない映画を観ても退屈せずに過ごせる」
「ベネ!」

足の爪のトップコートはそろそろ、サンダルを履いても剥げたりしないだろう。腕を組んで歩くなんてわたしにはまだ無理だけど、メローネのジェラートにかぶり付くくらいならやれるかもしれない。映画を見終わったら、誰かにメールを送ろう。まずはソルベとジェラートかな、ギアッチョはうざがられるだけだし、イルーゾォも反応が薄そうだ。ペッシに送ったってプロシュートの酒のネタにされて終わり。ホルマジオにこれからの愚痴を言う準備をするのも良い。リーダーとは直接話そう。

「何考えてるんだい?」
「これからのこと」
「そんなのは後回しにしようぜ」
「ん、行こうか」

お揃いの爪もなかなか悪くはないな、と思い始めていた。わたしは絶対にメローネ程上手く塗れないけど、ナックを観てる85分間に何度か塗り直せば、なんとかなるだろう。白黒映画にピンクの塗料も悪くない。






人魚発情





(090702)