らんらららんららららららら、


「お前はそれが好きだね」

ベッドに俯せに寝そべって、枕に腕と顎を重ねる。首の痛さも慣れれば辛くはない。それよりも、隣に同じく横になっている榎さんが向ける、色素の薄い二つの目の方が気になる。榎さんもわたしもちゃんと服は着ているし、何より彼はその辺りの分別は付いている。しかも真っ昼間だ。彼はふわふわしたこれまた色素の薄い髪を指に絡ませ、もぞもぞと長い脚を動かしながらも、顔だけはこっちに向けている。相変わらず綺麗過ぎる顔だ。薄く開いた目には何が見えているのだろう。

「それ?」
「それだそれ。何とかの何とかって曲」
「何とかの何とかって…。パッヘルベルのカノンですか」

ふーん、と適当に相槌を打って、再び同じ質問をする。わたしがそれを好きかどうか。無意識に口ずさんでしまうのは、もうわたしの癖として定着してしまっているようだ。全くもって嫌になる。

「好きじゃないです」
「いつも歌ってるのに?」
「もう好きじゃないんです」
「なんだ、飽きたのか」

そう言って、目線をわたしより少し上にずらす。ああ嫌だなあ。見えてしまう。思い出したくないのに思い出してしまうせいだ。

「オルゴオルだ」
「ああ、其処の棚に乗ってますよ、それ」
「ふうん」

不満そうな顔を一旦向けて、榎さんはベッドから下りて、棚に無造作に置かれた紅いオルゴオルを手に取る。一通り眺めると、蓋を開けて螺を回した。咄嗟に耳を塞ぎたくなったが、寸でのところで我慢する。



らんらららんらららららららららら、


らんらららんらららららららららら



「榎さん、それ貰って下さい」
「嫌だ」
「わたしもうそれ使わないですから」
「じゃあ捨てれば良い」
「勿体ない。ついでに止めて下さい」
「螺が止まれば勝手に止まるぞ」
「それ聞いてると泣きたくなるんです」
「よし、泣け!」
「やですよう」

わたしが泣きそうな笑顔を作ると、締め切っていたカアテンを榎さんが開いて、窓まで開けた。生憎の雨だ。更に気分が滅入ってしまう。早くやめば良いのに。

「こんなものはこうしてやるッ!」

大きく振りかぶって、榎さんは窓から紅い匣を真下に落とした。振りかぶる意味が分からない。ふと我に帰って、わたしは窓に駆け寄る。雨も気にせず、頭を外に出して地面を見ると、オルゴオルは案の定、分解されていた。まるでバラバラ死体だ。痛々しい。

「どうだ!」
「どうだ…って……下に人がいたらどうするつもりだったんですか!」
「いなかったから良い」
「そうなんですけど」

なんだか清々している自分がいる。未練がましく持っていた貰い物なのに、一層のこと元に戻らない様になると、諦めが付くようだ。榎さんがそこまで考えているかどうかはさておき。もう一度だけ地面を見下ろして、窓を閉める。そして榎さんの顔を見上げた。

「お前は馬鹿だ」
「知ってます」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

うふふ、と笑いながら、馬鹿を連呼し続ける。そんなことは自分でもとっくに分かっているのだから勘弁して欲しいが、この人が他人の話を聞くと思えないので、飽きるのを待つ。全く、もう三十路だと言うのに。学生時代からいつまでも変わらないこのビスクドオルは、誰よりもわたしの気分を良い方向へ向けるのに長けているようである。

「振られたから何だと言うのだ。世の中の男はあれだけではないし、あれ以上に 良い男が此処にいるだろう」

ふん、と鼻を鳴らして、わたしの腕を掴んで、再び寝台に寝転がる。わたしもそれに巻き込まれ、榎さんの隣に落ち着く。顔を覗き込むと、腰と背中に腕を回されて、抱き寄せられた。ふわふわと良い匂いがする。

「お前があれを好きである以上に、僕はお前が好きなのだ。さっさと気が付けば良かったのに、だからお前は馬鹿だ。馬鹿馬鹿馬鹿」
「それは」
「僕に惚れておけばこんな惨めな思いをせずに済んだんだ」
「そんなに都合良く行かなかったんです」
「でもこれからは都合良く行くぞ!」

僕は神だからな、と上機嫌な声音で呟き、黙った。眠いのだろうか。んー、と唸っている。抱き寄せられているせいで顔は見えないが、眠そうに目をしょぼつかせているような気がする。

「駄目ですよう、それじゃあ、榎さんに悪いんですもの」
「何が悪いんだい?」
「失恋したばっかりじゃあ、そんなに簡単に惚れられませんよ」
「僕が惚れさせてやる。だから黙って覚悟しておけ」

それっきり、榎さんは黙ってしまった。寝息が聞こえる。わたしは抱き枕じゃあないっていうのに。でも、この暖かさが心地好いので、妥協してわたしも眠りに付くことにする。

「覚悟しておきますよ、神様」

耳の奥でパッヘルベルのカノンが響く。だけれど、もう彼がくれたオルゴオルはなくなってしまった。もう鳴り止む時が来たのだ。古い夢からは目を覚まさなければならない。良い夢だった。きっと、いつかまたカノンを愛しく思えるだろう。だから今は、もっと良い恋をしよう。そうなるに違いない。だってわたしは神様に恋するのだから。







かみさまとしろいうみにしずむ






(081229)