ジャカジャカとギターとベースとドラムの音がイヤホンを通して耳の奥で響く。煩い音楽の筈なのに眠くなってくるのは、委員会で体力を使い果たしてきたせいだろう。ジェラルド・ウェイの張りのあるシャウトも眠気をぶっ飛ばせない。腕を枕にして机に突っ伏して数分。窓の向こうから届く運動部の声が微かに混じった音楽を聞くのは、家とは違う楽しさがある。自分がこの教室を占有しているようだ。しかしながら眠い。帰らなきゃいけないのは分かってるけど、動きたくない。潮江先輩か三木が一緒なら無理にでも駅まで引っ張られて行ったのだろうが、生憎二人とも部活だ。潮江先輩なんて、高三なのにまだ現役の部員だ。

がたん、と物音がした。誰かがドアを開けたようだ。しかしながら、それが誰なのかを確認する気にはなれない。スリッパを引き摺るような足音が聞こえる。眠いのに意識は段々と覚醒してきていて、ぼんやりと正体が判ってきた。多分、三郎だ。雷蔵の図書委員が終わるのを待っているのだろう。

「あれ、寝てんのか?」

ほっとしたような声がした。三郎確定。返事するのが面倒臭い。三郎ならまあ良いか。足音がこっちに近付いて来る。雷蔵を待ってるなら図書室行けば良いのになあ。そろそろ顔を上げようかと思案していると、前から椅子を引き摺る音が届いた。三郎が座ったようだ。

「お疲れ」

三郎にしては優しげな声が、イヤホン越しに聞こえる。しかも頭を撫でられた。ああもう、髪がぐちゃぐちゃになるから慣れないことするな馬鹿。はっちゃんにならやられ慣れてるけど、普段むかつくことばっかりしてくる三郎にやられると、どう反応して良いか分からない。ああ、寝た振りか。気付かなかったことにすれば良いのか。

急に音量が小さくなった。左耳のイヤホンが抜けてる。解放感があるが、物足りない。右耳だけ疲れるというのもなんだか嫌だ。元凶は分かっている。

「お、マイケミだ」

勝手にわたしのイヤホンを取るな馬鹿。二人で聞くとか、雷蔵とすれば良いじゃないか。しかも鼻唄歌うな。無駄に音程が合ってる三郎のTeenagersの鼻唄は、サビに入ったら歌詞が付いた。They said all teenagers scare…。彼らはティーンエイジャーが怖い。滑らかな発音で違和感を感じず、派手さはないけど愉しい。聞いていて音を立てて脈打っている自分の心臓に腹が立った。相手は遊び人で有名なあの三郎だ。勝手にわたしの弁当取ったり、教科書に落書きしたり、雷蔵と二人で談笑してると妨害してくるあの三郎だ。うっかりときめいてしまうなんて!きっと一瞬の気の迷いだ。そう自分に言い聞かせるしかない。三郎は狙っているのか無自覚なのか分からない行動ばっかりだ。だからわたしはこいつが苦手なんだ。

「…いひゃい」
「起きてただろ。イヤホン取ったら反応した」

悶々としていたら、頬を摘ままれた挙げ句、みょーんと引っ張られた。けたけたと軽快に笑いながら「おー、伸びる伸びる」と面白がっている。畜生、わたしのときめきを返せ馬鹿鉢屋!手首を握って無理矢理外させて、起き上がった。そして残念そうな顔をした三郎の頭を叩く。

「委員会?」
「ん……もう無理…」
「部活は?」
「行けると思ってんの…?」
「後輩になつかれてんだろ?」
「喜八郎なら大抵サボって裏庭に穴掘ってるよ」
「あ、やっぱり?さっき保健委員長が落ちてたぞ」
「えーまたあ?」

ん、と適当な相槌を打ちながら、三郎はわたしのiPodを取る。勝手に曲を見る。カチカチ押してるから、アルバムでも見てるのだろう。運良く、今日はメジャーなアーティストしか入れてない。

「このバンプとラッドって雷蔵の?」
「うん、借りた」
「Radioheadは兵助?」
「ColdplayとU2もね」
「ハチのは?」
「はっちゃん?電気グルーヴ」
「マジ?アイツが電気グルーヴとかイメージ湧かない」
「むしろ電波なら兵助だと思ったね」
「ああ、確かに」

右耳のイヤホンからは相変わらずマイケミが流れてて、左耳が三郎の声を拾う。シャッフルに設定してあったから、続いてThe Ghost Of Youが始まった。正直に白状すると、もう一度三郎の歌うTeenagersが聞きたいと思ったけれど、そんなこと言える訳もない。わたしの好きなTeenagersは激しくて軽い曲である筈なのに、柔らかな子守唄みたいで心地好かったのだ。ああもう、性格の悪い三郎の癖に。八つ当たりだけど。

「雷蔵、遅いね」
「だな」

体力も少し回復したし、そろそろ帰ろうかな、なんて言ってみたら、三郎は唇を尖らせてわたしの手首を掴んできた。帰るなと言いたいらしい。

「何よ」
「お前が帰ったら俺一人じゃん」
「知るか。どっかで女の子拾って来れば?」
「やだ。そんな気分じゃない」
「雷蔵のとこで待ってれば良いでしょ」
「俺はお前が良いの」

そう言った三郎の顔が赤かったのは夕陽のせいなんかじゃない。だってまだ夕陽なんて差してないんだもの。三郎が顔赤くするなんて、はっちゃんと雷蔵にからかわれた時くらいしか見たことがない。だからわたしも便乗して、意地の悪い笑みを顔に乗せてみる。

「寂しいんだ?」
「うるせ」
「可愛いなあ三郎」
「可愛くねえよ」

可愛い可愛い、と言いながらふわふわの茶髪をかき混ぜる。振り払われるかと思いきや、大人しく撫でられてるものだから、物珍しさに携帯のカメラを向けたくなった。逆パカされたりしたら嫌だからやらないけど。

「手首」
「何だよ」
「いつまで握ってる気?」
「いつまでも」
「離せって言ってんの」
「離しても帰らない?」
「帰らない」

ぱあっと晴れやかな笑顔になった三郎は、わたしの手首を離して、再びイヤホンから流れる曲を口ずさみ始めた。歌詞も見ないでよく歌える、と感心していると、だってお前、マイケミ好きじゃん、と返された。多分こいつは雷蔵の好きな曲なら何でも歌える。だけど兵助やはっちゃんの好きなアーティストは只単に聞くだけで、覚えたりはしないだろう。自惚れても良いのだろうか、雷蔵の次くらいには気に入られてるって。

「三郎はなんで雷蔵が好きなの?」

曲が終わるのと同時に、ずっと抱いていた疑問を勇気を出して問うてみる。雷蔵にそっくりな少し大きな目をぱちくりさせて、首を傾げた。何処となく近所の猫に似ていて、また頭を撫でたくなった。

「雷蔵は俺を独りにしないからじゃないか?」
「訊かれても困る」
「俺は独りになるのが嫌いなんだ。だって俺がいなくたって雷蔵がいるんだから。この顔は一つあれば充分なんだ。俺の方が勉強は出来るし世渡りだって巧いけど、雷蔵の方がずっと皆に好かれる。だったら雷蔵が一人いれば世間は普通に稼動するし、俺一人いなくたって世の中困らない、だろ?俺はそう思ったんだよ。そしたら俺は独りぼっちになんのが怖くなった。独りなんていたっていなくたってどっちでも良いってことじゃねえか、なあ。それをあいつに言ったら何て返ってきたと思う?」
「何て言ったの?」
「僕が一緒にいてあげれば三郎は寂しくないでしょ、って。小学生の俺は雷蔵のせいでそんな考えに思い至ったのに、雷蔵のお陰で救われたんだぜ?」
「うん」
「ある種の強迫観念なんだろうな、独りが怖くなったんだよ。一時期、独りじゃ寝れなくて雷蔵の家に泊まってたんだ。二人暮らし始めた今でも、たまに寝惚けた振りして雷蔵のベッドに潜り込んでんだ」
「そ」
「ハチや兵助には言うなよ」
「わたしには言ったのに?」
「言ったからだよ。お前一人だけが知っててくれればもうそれで良い」
「正確にはわたしと雷蔵と三郎だけどね」
「三人の秘密」
「よし、先に二人で指切りしよう」

そう小指を差し出すと、にやりと満足気に笑った三郎もそれに倣った。指切り拳万、嘘吐いたら針千本呑ます、指切った。一万回殴られた挙げ句に針千本呑まされるなんて、どれだけ重い罰なんだ。拳万の時点で死んでしまうぞ。

「俺は寂しさを埋めるために結構そこら辺の女と遊んだけど、あれは駄目だな。反って虚しくなる」
「ふうん、今さらだね」
「俺はお前と長く付き合ってく方が好きだよ」
「は、それどういう意味」

答えは聞けなかった。教室のドアが開いたからだ。元気の良さがドアの開け方にまで出ている。はっちゃんだ。横には兵助がいて、その後ろに雷蔵がいる。はっちゃんにしては部活が終わるのが早い。珍しいこともあるものだ。兵助は料理部で作って食べてきたのだろう、口の端にクッキーのものと思われる屑が付いていた。十中八九、おからクッキーだろう。言わないであげよう。雷蔵は眉をハの字に下げて、困ったようにわたしと三郎を見ている。何かあったのだろうか。

「雷蔵お疲れー。はっちゃんも兵助も、部活終わったんだ?」
「俺とハチは廊下で会ったんだけど、雷蔵はずっと此処に立って」
「ちょっと!なんで言うの!?」
「まあまあ、それは後にしてさ、マック行かね?部活終わって腹減ってんだ」
「行く!」
「えー、先生の見回り来ない?」
「もう一個向こうの駅まで行けば大丈夫だって」
「はっちゃんの奢り?」
「200円までなら」
「じゃあ俺も!」
「三郎は駄目に決まってんだろ!」
「三郎、二人で100円マックを一個ずつ奢って貰おう」
「ずるい!俺も」
「兵助は豆腐でも食べとけよ!」
「僕も」
「むしろ雷蔵が三郎に奢ってやってくれって」

結局、言い出しっぺのはっちゃんが全員に100円限定で奢ることが決定して、わたしたちは夕陽が差す教室を後にした。委員会で使い果たした体力は、隣の駅まで歩いて行くのに充分な位まで回復していた。三郎からイヤホンの片方を受け取って、片付けてから皆の後を追う。三郎だけがこっちを向いて立ち止まって、わたしを待っててくれた。










「三郎の寂しがりは僕のせいなんだ、ああ、もう知ってるよね。僕が三郎に似すぎてたから、三郎は孤独になってしまったんだよ」

自転車を押すはっちゃんとその横を歩く三郎と兵助から少し離れて、わたしは雷蔵とアスファルトを一歩一歩踏みしめていた。雷蔵はわたしと三郎の話を多分聞いていたのだろう。もしかしたらあまり聞こえていなかったのかもしれないが、雷蔵は察しが良い方だから、わたしと三郎が顔を突き合わせて何を語り合っていたのか、分かってしまったのだ。

「三郎は僕が好きだって実感する度に、僕は申し訳のないような、少し苦しい気分になる」
「三郎に好かれるの、嫌?」
「違うよ。僕が三郎にそうさせているような、ううん、なんて言うんだろう」
「雷蔵に起因して三郎が苦しんだり幸せになったりするから、雷蔵は自分が三郎を振り回してるみたいで嫌なんじゃない?」
「その通り。よく分かったね」
「三郎は本当に雷蔵が好きだよ。恋愛なんかより、雷蔵との友情だとか、家族愛なのかな、そういったものを優先させるのが三郎だよ」
「三郎はそんなにも僕が好きなのかな」
「だから雷蔵は責任を取って、最後まで嘘を吐かないでいること」
「三郎が好きなのは僕だけじゃないよ。ハチも兵助も好きだ。君のことはそれ以上に気に掛けてる」
「何それ」

じゃあ僕たちも指切りしようか、と雷蔵は小指をわたしに差し出す。高校生の男女が路上で指切りというのも如何なものかと抵抗があったけれど、おずおずとわたしも小指を立てると、楽しそうに雷蔵は歌った。指切り拳万、嘘吐いたら針千本呑ーます。










夕方のラッシュにしては珍しく、二人一緒に席を取れた。電車の動きと共にで揺れる兵助の黒髪を眺めていると、不意に目が合った。首を傾けると、兵助はゆっくりと口を開いた。

「三郎とお前が二人きりで話したの、今日が初めてだったんじゃないか?」

言われてみればそうである。高一からの付き合いの癖に、本当に二人で三郎と同じ空間にいたのは、出会って一年以上経った今日が初めてだった。二人で話したことは何度もある。しかしながら、密閉された、雷蔵さえ弾き出してしまう排他的な空間の中で二人きり、なんて、確かに初めてだったのだ。だから三郎はあんなに自分の内面を吐露したのだろうし、懐いた猫のようにわたしに接したのかもしれない。

「兵助、」
「うん?」
「やっぱり奢ってもらったマックは美味しいね」
「ハチは小遣い前でも気前良いもんな」

兵助はけたけたと笑った。兵助は何処かぼんやりしているし、三郎とは違う、というか天然という意味で掴めない性格だけれど、だからわたしは兵助といると安心する。兵助は頭が良いけど、わたしたちが会話に際して頭を回転させる必要があまりない。それでも結構重い話だって成り立たせてしまうのだから、兵助はすごい。はっちゃんははっちゃんですごい人だ。一緒にいると明るくなれる。はっちゃんの笑顔に何度癒されたことか。


「俺が好きなのは豆腐だけじゃなくて、そうだな、皆で食べるマックも同じくらい好きだよ」
「うん」
「三郎の好きにも、順番なんてないんじゃないかな」
「なんだろう、種類?ジャンル?」
「そうだと思う。だから俺が言いたいのは、」
「ん」
「雷蔵だけが一番じゃないってこと」

じゃあな、と兵助はタイミング良く立ち上がって、電車を降りた。兵助は天然の癖に鋭いから困る。普段はすっとぼけてる癖に、わたしの悩みなどすぐに見抜いてしまうのだ。










少し離れた所から、女子高生の集団が俺達をちらちらと見ている。スカートが短くて、化粧もしていて、髪色も明るい。目の回りなんて真っ黒だ。うちの学校じゃ許されないなあ、あれ。普段、校則に固められた女子高生ばかり見ているからか、俺達とはくくりが違う人間に見えた。俺達は確かに少なからず目立つ。だからあの派手な女子高生が何を考えてるのかも自ずと解ってしまう。

「うぜえ」

三郎は顔をしかめて舌打ちを溢す。雷蔵がそれを宥める。少し前までは、三郎はそんな態度を表立っては取らなかった。逆ナンされれば高いもん買わせて帰ってくるし、雷蔵によれば、朝帰りだって数回あった。

「お前、いつの間にあいつが好きになったんだよ」

溜め息と共に飛び出した質問に、三郎は唇の端を吊り上げた。付き合いがそれなりに長いから解る。煙に巻くつもりだ。

「好きというならずっと好きだ。俺は雷蔵が大好きだし、ハチも好きだ。兵助も好きだぞ」
「違う、そういうのじゃなくて、」
「俺の好きが、ハチのあいつに対する好きと同じかどうかなんて、俺には分からない」

間が空く。鼻で笑う三郎を見るに、俺の好意は解りやすいらしい。雷蔵は呆れたように三郎をじと目で睨んでいる。やっぱり解りやす過ぎたらしい。

「俺はあいつが確かに好きだけど、恋愛してすぐに終わらせちゃうより、友達としてずっと付き合ってきたいって思ってる」

正直に告白して、いつも通りににかっと笑うと、雷蔵も三郎も同じ顔で同じ表情をした。びっくりした顔。更に言えば同じタイミングだ。世の中のどんな双子だって、こいつらには敵わないんじゃないかと俺は思う。その後、雷蔵は暖かみがあって、三郎は悪戯っぽい笑顔を浮かべるものだから、やっぱり二人は別々の個体なのだと再確認させられた。

「ハチは格好良いね」
「そうか?」
「ハチのそれは遠慮じゃないから」
「お前らに遠慮なんてしねえもん、俺」

雷蔵は柔らかみのある笑い方をする。立花先輩のような完璧に繕った笑顔とは程遠いけれど、断然俺は雷蔵の方が上手に笑えてると思う。ほっとするのだ。はっちゃんの笑顔は人を幸せにするよ、と彼女に言われたことがある。覚えているのは俺だけかもしれないが、俺はずっと忘れない。何せ、俺のいじらしい恋愛はそこから始まったのであるのだから。結局、自分の手で捻り潰してしまったけど。

「俺は馬鹿だからさ、」
「ん?」
「この先惚れてるって自覚したら、ハチみたいに格好良く構えてられねえ、と思う」
「別に格好良くねえって」
「だけど、ずっと手放したくないんだろうな」

そう呟いて窓の外の真っ暗な空間を眺める三郎は、自覚がないだけで、彼女に惚れてるんだと感じた。雷蔵が見守る中、俺は軽く三郎の頭を撫でた。明日も俺達がいつも通りの俺達でいられるかは分からないけど、また幸せな一日が来るに違いない。








一人きりになってしまった帰り道、イヤホンから流れるMy Chemical Romance。三郎の声を思い出して、寂しくなった。わたしのこの寂しさが三郎の苦しみに匹敵する筈がないけれど、今なら何となく分かる。皆で楽しく過ごした後の独りぼっちは身に染みるのだ。早く明日が来れば良いのに。明日になれば多分、わたしは素直に三郎の柔らかな歌声をねだれるだろうから。歩きながら小さく口ずさんだI'm Not Okayは孤独感を助長させただけで、遂には消え失せてしまった。





(090501/My Chemical Romance/Give'em Hell,Kid)