初夏の陽射しが眩しい。本格的な暑さは未だ到来していないけれど、荷物を抱えていくには少し骨が折れそうだ。右を歩く雷蔵先輩には後輩の世話は慣れたもので、何気ない会話をしながらもわたしたちを気遣って歩く速度を合わせてくれている。反対に隣を歩くきり丸は、継ぎ接ぎの着物を着て、只働きに少し不貞腐れつつも、一年は組の友達の話を楽しそうにしている。

ちゃんは最近どう?」
「どうって…変わりませんねえ。時々、日雇いのアルバイトして稼いでるくらいですよ」
「先輩、何かバイトあったら俺にも紹介頼みますよ!」
「えー、きりちゃんの方が働き者だから、次からわたしに声掛からなくなっちゃう」
「そうっすかね?」
「僕からしたら、二人とも働き者だよ」
「先輩、おだてても何も出ませんよ」
「むしろ下さい」
「そうだなあ、じゃあ、帰りにお団子食べに行こうか」
「マジで!?雷蔵先輩太っ腹!」
「実は委員長から美味しいものでも食べて来るようにってお小遣い貰ってたんだ」

わたしたちは図書委員として、新刊を仕入れに来た。わたしはくの一教室の図書委員だけど、雷蔵先輩と普段から親しくしていて、きり丸とも面識があるし、図書室は共用ということで、荷物持ちに任命されたのだった。体力ならそれなりにあるし、山本シナ先生は鍛練にもなると言って微笑んだ。断れる訳もない。ちなみに一年生のきり丸が選ばれたのは、彼がドケチ故に買い物上手だからだ。値切り方を熟知しているのだから、これを利用しない手はない。

きり丸は戦による孤児だという。土井先生の家に居候しながら、アルバイトをして学費を稼いでいる。それでも友達と楽しく生きているのだから、逞しいと思った。六年間の学費は、三年生になった今はもう全額払い終わっているけれど、着物や文房具等の生活必需品を買うお金は稼ぐしかない。わたしも孤児だからだ。

人通りの多い街が苦手だ。昔は好きだった。稼ぐ方法が今と違ったからだ。多ければ多い程、わたしの客、つまり鴨は見付けやすいし、賑わっている街なら尚更良かった。人々の懐が暖かいからだ。それが今や仇となって、無意識の内に通り過ぎる人を観察してしまうのが癖になってしまっている。両隣に先輩やきり丸がいなければ、なんて考えている自分に嫌気が差して、強く手を握り締めた。雷蔵先輩がそんなわたしを察知して、強く握った右手をほどいて、大きな手を繋いだ。ごつごつして、傷があって、忍びの手だ。それなのに暖かい。顔色を伺うように右隣を見上げると、穏やかな顔をした先輩がわたしを宥めるような眼差しで見ていた。きり丸の視線に気付き、固く結んだ左手の力を抜く。

「先輩、どうしたんすか?」
「何でもない!きりちゃんも手繋ごっか」

きり丸は恥ずかしがったけど、わたしは構わずその小さな手を繋いだ。スリは手が塞がっていれば盗れない。つまりはこういうことである。忍術学園に入るまで、路地裏に住み着き、各国を渡り歩いてきた。生活資金は道行く人々からこっそり頂戴した。一人ではなく、同じような境遇の子供達皆で、大人を食い物にして生きてきた。女子が人気のない所に誘い出して皆で襲い掛かった。たまに殺してしまったけど、それは大人が弱かったからであってわたし達は悪くないと自分に言い聞かせた。別にわたしが組織した訳ではなく、もっと歳上の、今のわたしよりずっと目の荒んだ子供達に拾われて、気付けば悪餓鬼の仲間入り。一人が餓え、一人が殺され、一人が病に倒れ、それでも数は減らない。わたしが全うな暮らしを手に入れた今でも、何処かにそんな集団は存在する。わたしは元は関東の生まれなのだが、盗っては逃げ、盗っては逃げ、と繰り返した結果、西に辿り着いていた。それなりの人数を保っていたけれど、その集まりも次第に割れて行き、共に逃げ続けた子供達も病に倒れ、捕まれば見棄て、気が付くとわたし一人になっていた。節制した上に、道中で何度か良い鴨と擦れ違ったので、わたしはその殆んどを学園の入学資金と学費として遣った。

仲の良いきょうだいね、と主婦達がわたし達を見て言った。言っちゃあなんだが、全く似てない。だけど少し嬉しかった。家族がいないわたしにはきょうだいなんていないからだ。この二人と兄弟だというのが誇らしくて、わたしは胸を張って街を歩いた。










この街に足を踏み入れた時、わたしはたった一人だった。着々とかき集めた小銭を抱えて、よろけながらも歩き続けた。体力の限界が来ていたけれど、小汚ない子供には立ち寄れる所もない。誰かに助けを望むことも出来なかった。誰も信用出来なかった。治安が良いというのは、治安が悪い地を渡り歩いてきたわたしにとっては生き難い場所なのであった。今だってそうだ、稼ぎたいのに稼げない。そんな薄汚れた子供は街の人々から送られる奇異の眼差しに耐えきれず、逃げるように人の来ない路地裏へと足を引き摺っていった。空腹には慣れきっていたせいで、食糧を獲ることよりも逃げることを選んでしまったのだ。地べたに座り込んで、膝を抱えて夜を待つ。日が暮れる頃になれば、売れ残りの食糧を安く手に入れられる。わたしは目立ってしまうから、此処での稼ぎも期待出来なかった。足音が近寄ってきても、警戒心を剥き出しにして周囲を見回すことしか出来なかった。

「君、大丈夫?」

だから、今わたしの隣にいる雷蔵先輩に声を掛けられた時、死んだ魚のような目で睨み付けて、人に慣れていない野良猫のように拒絶した。返事もしなかった。

「お腹空いてるの?」

愛想もなく無言で居続けるわたしを大きな目が見つめる。雷蔵先輩はずうっとわたしの返事を待ち続けた。沈黙。大通りの喧騒が微かに届く。だからこそ無音の空間が際立ち、居心地の悪さに顔を反らした。すると雷蔵先輩は、ちょっと待ってて、と言い残してその場を去った。後にわたしは先輩の迷い癖を知るのだが、当時迷ったのはわたしだった。動かず待つべきか、逃げるべきか。結局悩み続けている内に、雷蔵先輩は帰ってきた。手に包みを抱えて。

「食べて」

包みがほどかれた。中身は数本の団子だった。口の中に溜まった唾液をごくりと飲み込むと、雷蔵先輩はくすくすと笑い出した。何事かと顔を見上げると、穏やかな表情で一言、「我慢しなくて良いんだよ」と投げ掛けられた。おずおずと串を一本取る。他人から食べ物を貰うのには抵抗があったけれど、その時のわたしには先輩に対する警戒心も失せており、甘い匂いに誘われてかぶり付いた。疾うに失った仲間と食べた団子を思い出して、目の前に人がいることさえ気にせず泣いた。











きり丸が着々と新刊本の値段を下げていく。まだ十歳なのに貫禄があって店主が気圧されてるのを見て、逞しく生きてきたのだな、とぼんやりと思った。しかしながらこの辺りで止めておかねば、次回から売って貰えなくなりそうだ。先輩の袖を引っ張る。

「うーん、そろそろ止めるべきかな、でもなあ…」
「先輩、競りじゃないんですよ。あんまり下げるとお店に嫌われます」
「あ、そうだよね。きり丸!もう良いよ!」

きり丸は残念そうにこっちを見た。ドケチとしては不満な値段らしい。気持ちは分からなくもないけど、長い目で見ればそれなりの値段を払うのも悪いことじゃない。ありがとう、と黒髪を撫でると、くすぐったそうに目を細めた。愛嬌のある顔も相まって猫のようだ。雷蔵先輩が代金を払っているのを見ながら、わたしはきり丸とじゃれていた。

先輩って雷蔵先輩のこと好きなんすか?」
「きりちゃんを好きなのと同じくらい好きだよ」
「ちぇっ、はぐらかされた」
「急にどうしたの?」
「だって、先輩ってくのたまより雷蔵先輩と仲良いんでしょ?」
「えーとさ、きりちゃん、他の子と感覚が合わないって感じることない?裕福な子とは金銭感覚が違うとか」
「あー、いっつもですよ」
「くの一教室って、教養とか礼儀作法のために入る子多いのよ。そういう子って、それなりに裕福じゃない。馴染めなくてね」
「友達いないんすか?」
「いたけど学園やめちゃった」

気不味そうに目線を逸らすきり丸には悪気はないのだろうし、友達が出来ないのは事実だ。一年生の頃、一度何人かのくのたまに誘われて街に来たことがある。それなりに着飾った女の子の中、一人だけ地味な格好のわたしがいて、小間物屋も節制を心掛けているわたしにはあまり楽しくなかったし、皆が団子屋にいる時に用事があると嘯いて一人で帰った。茶店で浪費する訳にも行くまい。暗い表情で帰ってきたわたしを見付けた雷蔵先輩が忍たま長屋でお茶を出してくれて、黙って話を聞いてくれた。それから、勉強で分からない所がある時も、テストで満点を取った時も、無意識の内に雷蔵先輩に会いに来ていた。自分が多少忙しくても先輩はいつもわたしの面倒を見てくれた。

ちゃん、きり丸、手伝って!」
「はあい!」
「へーい」

だから雷蔵先輩はわたしの大好きな先輩なのである。










手拭いを差し出されたわたしは、真っ赤な目で先輩を見上げた。地面には包みと串が転がっている。泣き腫らした目には他人に対する警戒心はなかったけれど、嫌悪感が胸を渦巻いていた。無責任に野生生物を拾ったのと同じだと思ったのだ。施しだけ与えて野生のまま放置するならばそれでも良い。中途半端に飼い慣らされるのは嫌だった。

「名前は?」

「僕は不破雷蔵。寝泊まりする所は?」
「ない」
「女の子がこんな所で一人なんて危ないよ。そうだ、学園長先生に相談してみよう。着いて来て!」

今考えれば軽率すぎる行動だったけれど、雷蔵先輩は本気でわたしを助けたいと思っていたのだと思えば、間違いではないのだろう。あの時彼が連れていってくれなかったら、多分わたしはスリに罪悪感など感じなかった。彼の大雑把さから転じた大体な判断は、この街での犯罪抑止にもなったということだ。

その後学園長と山本シナ先生に面会し、懐に溜め込んだ金銭の殆んどを出して、くの一教室に入学したわたしより、雷蔵先輩は二つ上の学年だと知った。入学を自分のことのように喜んでくれて、照れ臭かったけれど、久々に笑みが溢れた。











字も録に読めなかったわたしが、図書室に通うようにまでなったのは、間違いなく雷蔵先輩のお陰だ。先輩はずっと図書委員だ。先輩に会いたければ図書室に行き、いなければがっかりする。先輩たちにも顔を覚えられ、図書室の常連となった。行くからには借りなければと思い、気付けば本の虫。読み書きも相応に出来るようになっていた。しかもくの一教室の図書委員。

「新入生にね、ものすっごくケチな子がいるんだ」

そんな中、わたしがきり丸を知ったのは、五年生になった雷蔵先輩の部屋の前の縁側でお茶を飲んでまったりと過ごしていた時だった。

「アルバイトで学費と食費を稼いでて、土井先生の家に居候してるんだって」
「…まあ、似てない訳じゃないですよね、わたしと」
「会ってみる?」
「今いるんですか?」
「外にでもいるんじゃないかな」

そっけなく振る舞いながらも、興味が湧いていたのは事実だ。多分、同じ境遇の子を見て、安心感を得たかったのだろう。自分は不幸じゃないと常々思い込んでいたが、育ちの良い女の子達を見ていると、やはり時々苦しくなる。自分より辛い思いをしている人なんてごまんといる、そう言い聞かせて不安を拭ってきた。だからきり丸との出会いはわたしにとっては大きな転機となったのだった。

「先輩も独りぼっちで生きてきたんですか?」

きり丸が初対面のわたしに言った言葉を今でも覚えている。初めまして、だとか、学園には慣れた?、だとか、そんな当たり障りのない会話をしていたのだけれど、きり丸は突然わたしに訊いた。

「どうして?」
「違うならすいません」
「違わないよ、ずーっと独りぼっち。塀一つ超えてくの一教室に戻っても独りぼっち」

冗談めかして言ったら、心臓がずきずきした。その日は授業でスリの能力を発揮してしまったせいで、自己嫌悪に陥っていたせいもある。他の生徒から巻物を奪うという内容だったが、シナ先生に褒められてもあまり嬉しくなかった。出来て当然だと思ってしまった自分に悲しくなった。

「先輩からは俺と同じ匂いがするんです。上手く言えないけど」
「雑草魂って奴?」
「この世は生きたもん勝ちっすからね」
「生きててくれてありがとう、きりちゃん」
「先輩こそ生きててくれてありがとうございます。なんか照れ臭いっすねー」

あの日以来、きり丸はわたしになついている。会えば駆け寄って来るし、困ったことや辛いことがあればわたしに相談する。わたしはそれを嬉しく思うのと同時に、雷蔵先輩にとってのわたしが、わたしにとってのきり丸と同じだと考えると少し寂しく感じてしまう。妹のように可愛がってもらえるのがとても喜ばしいのは確かだけれど。

わたし達が飢え死んでしまったら、それはお金に殺されたってことになる。ものに殺されるより人に殺される方が良い。わたしの仲間達はお金にも大人にも殺されてきたのだけれど。殺されるつもりだってないけれど。わたしはきり丸みたいになりたかった。苦しくとも貧しくとも、真っ当な生き方をしたかった。それを口に出せたらどんなに気楽だろうかと、幾度悩んだことだろう。汚い生き方をしてきたことを今更後悔するつもりはないけど、きり丸みたいに労働によって稼いで生きてきたなら、もっと…、いや、この先を考えるのはやめておこう。











三人並んで長椅子に腰掛けて団子を頬張る。外でおやつを食べることは滅多にないからか、いつもより美味しく感じる。先輩ときり丸が一緒だからというのもあるかもしれない。これから学園まで、重い本を持って歩かなければならないと思うと気まで重くなるけれど、美味しい団子も食べれたし、一人じゃないと思えばそれほど苦でもない。

「平和だね」

雷蔵先輩がぽつりと漏らす。きり丸が同意して、わたしも頷く。日の本の何処かでは今日とて戦は起こっているに違いないけれど、わたし達を取り巻く空気はこんなにも平静だ。忍者が平和呆けするような時代が来れば良いのに。いや、就職難になられても困るのだけれど。

「必死になって生き延びてきたのが嘘みたい」
「嘘だったら良かったって思う?」
「思いませんね」
「どうして?」
「失ったものは沢山あったけど、平穏な暮らしをしてたら、今わたしが大事にしてるものは一つも手に入らなかったと思うんです」
「大事なものって何すか?」
「きりちゃんや先輩かな……なんてちょっと格好付けてみたんだけど、もしわたしが只の女の子だったら、学も大してなかっただろうし、将来を夢見ることもなかったんだろうなあ」

感慨深く呟くと、きり丸がわたしの肩に頭を預けてきた。ずしりとのし掛かるのは命の重みだ。初めて会った時のきり丸はもっと刺々していて、学園に来たばかりのわたしのようだった。雷蔵先輩がわたしの棘を削り取ってくれたように、わたしはきり丸に接してあげられているだろうか。

「お金じゃ買えないものが欲しかったんでしょうね、ずっと」
「それじゃあちゃんは今、幸せ?」
「幸せ!」
「きり丸は?」
「幸せかって訊かれてもよく分かんねえけど、楽しいですよ」

だからわたしがいつか、きり丸を幸せだと言えるようにしてあげたい。お金じゃどうにもならないものを、わたしやきり丸の友達と一緒に与えていきたいと思う。わたしたちはこのまま行けば、お金を貰って他人を不幸にしたり束の間の平穏を与えたりする仕事に就くのだろう。お金は人を救えるし不幸にも出来るけれど、人を幸せにするのは人の役目だ。お金を払って買った団子や本でだって一時の幸福は得られるけれど、恒久的幸福が生み出されるのは人と人との関わりの中で だとわたしは思う。雷蔵先輩がわたしを幸せにしたように。それにわたしは、自らの孤独を解消するよりも、与えられた慈しみをまた誰かに注ぐ方が性にあっている。

「そろそろ行こうか」
「そうですね、きりちゃんがお昼寝始めちゃいそうですし」
「んー…」
「きりちゃん、帰ったら膝枕したげるから頑張ろう」
「へーい」
「あ、口の端にみたらしのタレが付いてるよ。ちょっと動かないでね」
ちゃんたら、すっかりお姉ちゃんが板についてきたね」
「先輩もわたしがきりちゃんくらいの頃はお兄ちゃんみたいでした」
「お兄ちゃんかあ…。今は?」
「へ?」
「兄妹の枠は破れたのかなって」
「はいはい、のろけてないで行きますよー」
「のろけっ……きり丸!?」
「きりちゃんったら…」

暖かと呼ぶには少々強い初夏の暑さと荷物の重さは少しずつわたしたちの体力を奪ってゆく。この程度の暑さや重さを辛いものだと感じられるわたしは今、幸せな生き方をしている。わたし達がいずれ屍の上に立つように、辛苦の上に幸福な日々は覆い被さっているのだろう。苦しい生活を不幸だとは認識してはいなかったけれど、今、大切な大好きなものに囲まれたわたしは、あの頃予想も出来なかった位幸運で幸福だ。





(0905019)